加藤嘉一「立法院を占拠し、政治を動かした台湾の学生たちの『熱量』は本物です!」 学生が政治を大きく動かす。今の日本では想像しづらいことが、台湾で現実に起こりました。彼らを突き動かす原動力はどこにあるのでしょうか?
南シナ海での石油掘削(くっさく)をめぐる衝突をきっかけに、ベトナムで反中感情が高まり、市民は大規模なデモを行なっています。
市民による“反中国運動”ということで思い出されるのは、今年3月に起こった台湾の学生たちによる立法院占拠。まずは「太陽花學運」(太陽花はヒマワリ、學運は学生運動のこと)と呼ばれた一連の騒動の経緯をおさらいしておきましょう。
3月17日、台湾の立法院で、中国-台湾間で通信、金融などの分野の自由化を目指す「サービス貿易協定」の審議を与党側が一方的に打ち切り、強行採決に持 ち込もうとした。翌日、それに反発した学生たちが立法院を占拠し、審議再開を要求。立法院周辺に集まる学生は日に日に増え、12日後には50万人にまで膨 れ上がりました。そして4月6日、立法院の王金平(おうきんぺい)院長は要求に応じて審議の再開を約束した。馬英九(ばえいきゅう)政権も、これほどの反 発があるとは想定外だったはずで、学生たちの“勝利”といっていいでしょう。
台湾で学運が盛んなのは、1990年の「三月学運」が台湾の民主化に重要な役割を果たしたことに端を発しており、以来、台湾では学生たちが政治へコミットするという文化が育ってきたのです。
ぼくはこれまで台湾を4度訪れ、多くの学生たちと接してきましたが、彼らはとにかく政治に対して熱い。「太陽花學運」でも、人口規模が日本の5分の1(約 2300万人)の台湾で、50万人もの学生が集まったのですから、いかに熱量が高いかわかるでしょう。彼らには「民主主義を守るためのボトムラインを自分 たちがつくる」という気概があり、政権の暴走を防ぐ抑止力として献身しています。
では、中台におけるサービス分野の自由化交渉が、「民主主義」にどう関係するのか? もちろん強行採決という手続き上の問題もありますが、それ以上に学生 たちには、「国家資本的な中国のサービスが入ってくることは、台湾の民主主義の危機であり、のみ込まれてしまうかもしれない」という危惧がある。その背景 には、台湾人の複雑なアイデンティティが横たわっています。
先日、台湾の『天下』という雑誌が、「自分は“何人”?」という世論調査を行ないました。選択肢は(1)台湾人、(2)台湾人であり中国人、(3)中国 人、の3つ。結果は、回答者のうち62%が(1)、22%が(2)、そして8%が(3)を選びました。しかし、18歳から29歳の若年層に限ると、実に 75%が(1)の台湾人を選択。この割合は過去最高だったそうです。
台湾には「本省人」と「外省人」という概念があり、本省人とはずっと台湾に住んでいる人、外省人は1949年に中国から蒋介石(しょうかいせき)とともに 台湾へ逃げてきた人たちのことを指します。外省人は中国と台湾というふたつのアイデンティティを抱えているのが普通ですが、この調査を見ると、たとえ外省 人の二世、三世でも、生まれたときから台湾で育っていれば台湾人としてのアイデンティティが強いのでしょう。中国との経済的な連携を強化していきたい馬英 九政権や、中国市場で商売をしている台湾のビジネスパーソンたちと、学生運動を起こすような学生たちとのギャップは顕著であり、将来の中台関係にも影響を 及ぼすファクターといえます。
問題となったサービス貿易協定は、内容としては中国側がかなり譲歩しており、経済的な意味では台湾にとって魅力的だったはず。今後、協定交渉がどんな経過 をたどるか、情勢を注視していく必要があります。ただ、ひとつ言えるのは、世界中の国々が巨大市場を持つ中国と経済協力協定を結びたがるなか、中国共産党 に「NO」を叩きつけた学生たちの熱量は本物だということ。このエネルギーから何も感じないというなら、その理由を逆に教えて!! *****
加藤嘉一(かとう・よしかず)
日本語、中国語、英語でコラ ムを書く国際コラムニスト。1984年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、単身で北京大学へ留学、同大学国際関係学院修士課程修了。2012年8月、約10 年間暮らした中国を離れ渡米。現在はハーバード大学アジアセンターフェロー。最新刊『不器用を武器にする41の方法』(サンマーク出版)のほか、『逆転思 考 激動の中国、ぼくは駆け抜けた』(小社刊)など著書多数。中国の今後を考えるプロジェクト「加藤嘉一中国研究会」も活動中!
http://katoyoshikazu.com/china-study-group/ 【関連記事】
NHK "爆問 學問"中訪談此位"中國最有名的日本人"加藤嘉一
記得約2005年他剛從北京大學畢業 碰到中國的排日運動 即展身手.....
维基百科,自由的百科全书加藤嘉一(1984年4月28日-かとう よしかず),出生於日本靜岡縣伊豆半島,專欄作家、知名媒體人,精通漢語和英語。原先為長跑運動員,2003年作為日本公派留學生到北京大學國際關係學院學習。目前在北京大學朝鮮半島研究所工作。[1]
他還是金融時報中文網、鳳凰網、瞭望東方周刊等傳媒的專欄作家。
[编辑] 著作
- 《七日談:來自民間的中日對話》(2007年,新華出版社)
- 《日本走向何方》(2009年,中信出版社,譯著)
- 《以誰為師?—一個日本80後對中日關係的觀察與思考》(2009年,東方出版社)
- 《從伊豆到北京有多遠》(2010年,江蘇文藝出版社)
- 《中國,我誤解你了嗎?》(2010年,華文出版社)
- 《中國,我誤解你了嗎?》(正體字版本)(2011年,中華書局(香港)有限公司)
- 《從伊豆到北京有多遠》(繁體版)(2011年,明報出版社有版公司)<詳細資料按此>
[编辑] 參考
- ^ 以誰為師?一個日本80後對中日關係的觀察與思考. 卓越網 [20100309].
[编辑] 外部連結
加藤 嘉一(かとう よしかず、1984年4月28日 - )は中国在住の日本人コラムニスト。
目次
[非表示]経歴 [編集]
静岡県の農家の家庭に長男として生まれる[1]。
身延町立小学校、山梨学院大学附属中学高等学校卒業。高校卒業後、北京大学へ留学、同大学国際関係学院大学院修士課程修了[1]。現在は、フィナンシャル・タイムズ中国版コラムニスト、北京大学朝鮮半島研究センター研究員、フェニックステレビコメンテーターを勤める[1]。
李小牧による批判 [編集]
2011年7月6日号のニューズウィーク日本版に、共著を出版したばかりの李小牧が「中国で一番有名な日本人、加藤嘉一君への手紙」[2]と 題するコラムで加藤の中国における発言を批判し、ツイッターなどで擁護派と批判派が生まれた。中国語で書かれたコラムや中国はほとんどの日本人の目に止ま らないので、李の指摘は的を射ていたものの、批判派は李コラムの尻馬に乗って批判を加える者が多く、また擁護派も言動ではなく加藤が中国で中国語を使って 発信しているという行為を評価していたので、両者はかみ合わなかった。
李は具体的には指摘していないが、「新疆新政可期」(新疆の新しい政治体制は期待できる)[3]、で自らの経験を元に、ウイグル人へのバイリンガル教育に対して「学校では中国語だけを使ってプレッシャーを与え、(真剣に中国語を収得)させる」と指摘したり、「中国高铁的未来」(中国高速鉄道の未来)。[4]で 「中国の社会変革が、政府の土地収得のコストを増加させている。日本と同じように収用が出来なくなる前に、急いで高速鉄道を建設するのが賢い選択だ」(中 国的社会变革正在增加政府获取土地的成本。在变得像日本一样没法征地之前,抓紧时间继续修建高铁将是明智的选择。)と、非人道的な発言が見られる。
経歴詐称疑惑 [編集]
高校卒業から北京大学に進学するまでの課程がメディアによって異なり、また本人の口から「東京大学に合格したが蹴った」、「ハーバード大にも合格し たが東大に入学し、退学して北京大に来た」など本気とも冗談とも取れない発言が出ており、現在まで信頼できる経歴は確認できていない。
公式サイト[1]では「受験直前に、山梨学院大と北京大が学術協定を結ぶという話を聞きつけ」て両者の会談の場を訪れたとあるが、山梨学院大と北京大学国際関係学院が学術協定を結んだのは2001年で、高校3年生だった2002年にそのようなことは不可能である。
2010年3月に放送された『两会三人行:80后不反叛不自信 一直被圧抑』)[5]では、「高校卒業後東京大学に合格したが、私はこれを蹴った」(考上东大你已经成为赢者了。但是我主动放弃)と発言している。
北京大学が発行している「留学北大」によると、「刚考上东京大学的他在东大认识了一位北大教授,教师非常喜欢她,邀请他深情公派留学」(東京大学に入学してまもなく、北京大学の教授と知り合う。教授は彼を大変気に入り、公費留学を申請するよう求めた)となっている。[6]。
2011年5月に受けた鳳凰網の取材では、「2003年、彼はスポーツ特待生として東京大学に合格した」となっているが、東京大学はスポーツ推薦制 度を導入していないので、入学は不可能である。仮に東京大学に入学したのなら、「2003年の新型インフルエンザが猛威を振るう中、彼は北京大学の国際関 係学院に入学」という体験は出来ない。
中国語が話せない外国人は、まず預科で中国語を学習して一定の水準に達したと認められて、はじめて本科である北京大学国際関係学院に入学出来る。 2003年の3月に預科に入っていたとすれば、本科入学まで1年半を預科に費やしたことになるので、彼の当時の中国語水準は本人が言うほどは高くは無かっ たと推察される。なお、入学直後にSARSの蔓延が発覚した影響で授業がストップしたとしているが、他大学では6月以降に随時補講を開き、遅れの無いよう 措置を取っている。
自著『われ日本海の橋とならん』では山梨学院大学付属高校にやってきた北京大学の担当者に自己アピールして「北京大学初の国費留学生」となったとあるが、中国教育部の国費留学制度は1980年代から存在したため、既存の国費留学制度とは異なる制度を利用した可能性が考えられる。また、同書ではじめて中国側の国費留学である事を明らかにしている。
職歴詐称 [編集]
公式サイトには「慶応義塾大学SFC研究所上席所員」と書かれているものの、慶応義塾大学SFC研究所の公式HPの「上席研究所員」リストには、彼の名前は載っておらず、「訪問研究員」のリストにその名前を見つけることができる。[7]
南京大虐殺論争における立場 [編集]
2009年、陸川監督によって製作された中国映画『南京!南京!』が公開された際、自身のブログに、映画を撮影した陸川監督に「敬意を表す」と題した記事を掲載した[8]。映画の日本に対する影響について、「…“南京大虐殺は事実ではない、そもそも存在しなかった”、あるいは“虐殺はあったが、30万という数字は不当に誇張され、政治化されたものである”と主張する極右分子の怒りを買うことになるだろう」と述べ、いわゆる南京大虐殺論争では虐殺者数について30万人以上であるとの見解を支持している。
著書 [編集]
- 『七日谈:来自民间的中日对话』(2007年、新華出版社)
- 『日本走向何方』(2009年、中信出版社)
- 『以谁为师?—一个日本80后对中日关系的观察与思考』(2009年、東方出版社)
- 『从伊豆到北京有多远』(2010年、江蘇文芸出版社)
- 『中国,我误解你了吗?』(2010年、華文出版社)
- 『中国的邏輯』(2011年、雲南人民出版)
- 『愛國賊』(2011年、大塊文化出版股份有限公司)
- 『中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか』(2011年、ディスカヴァー・トゥエンティワン)
- 『常識外日中論』(2011年、メディア総合研究所)
- 『われ日本海の橋とならん』(2011年、ダイヤモンド社)
脚注 [編集]
外部リンク [編集]
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