【毎日新聞夕刊でシンポジウム“他郷拾拾”をご紹介いただきました!】
\《每日新聞》晚報報導了「他鄉拾拾」論壇!/
※台湾華語のあとに日本語記事あり〼
8月17日的《每日新聞》晚報,報導了陳澄波的〈東台灣臨海道路〉,以及今年4月舉辦的台日交流論壇「他鄉拾拾」!這次《每日新聞》的報導,也從這場座談會得以誕生的重要緣起之一——陳澄波〈東台灣臨海道路〉的發現——重新出發,仔細梳理了美術、地方與歷史之間錯綜複雜的關係。照片是和共同主辦這場座談會的陳澄波文化基金會陳立栢董事長一起拍的。能有這張難得的合照,真的很開心!
https://mainichi.jp/articles/20260817/dde/041/200/013000c
也想藉著這個機會,稍微回顧一下4月活動當天的情景。
2026年4月25日,在山口縣舊縣會議事堂舉辦的台日交流論壇「他鄉拾拾——山口縣的台灣美術與文學」,可以說是一項持續性的文化計畫:從日本各地重新發掘與台灣近現代美術相關的作品、史料與記憶,透過台日雙方的研究重新拼組歷史,並進一步連結未來的共同研究與展覽。
出身於山口縣防府市的第11任台灣總督上山滿之進,與台灣近代美術有著深厚淵源,包括創設台灣美術展覽會(台展),以及與畫家陳澄波之間的交流等。座談會當天,來自台灣的年輕研究者,以日本時代的台灣美術、與山口縣有淵源的畫家,以及文學家的活動為主題進行發表,也與地方上保存下來的史料與記憶彼此對照、交流。
在發表後的Q&A中,甚至有一位與會者提到,自己的母親當年曾接受報告中提及的一位畫家兼美術教師指導。像這樣的瞬間一再出現,也讓人非常具體地感受到:把這場活動放在「地方」舉辦,本身就具有不可取代的意義。
透過這次論壇,我想不只是開啟了一種重新連結台灣美術史與山口地方史的新視角,也在作品的發現與捐贈,以及研究者、美術館、行政單位與地方文化團體之間的網絡建立上,累積了相當重要的成果。
另外,對我個人而言,最令我印象深刻的,是千葉市美術館館長、同時也是日本博物館協會會長的美術史家山梨絵美子老師,在「綜合討論」中的一段發言。
山梨老師是日本近代美術史、尤其是黑田清輝研究的權威。她提到,過去在研究黑田的老師拉斐爾・科蘭(Raphaël Collin)時,曾有法國研究者對她說,科蘭「並不是那麼重要的畫家」,令她感到非常不服氣。從法國美術史的中心視角來看,也許科蘭並非舉足輕重的藝術家;然而若要理解日本近代美術如何形成,他絕對不能被視為一個「沒什麼了不起」的人物。
也就是說,從什麼位置觀看歷史,會大幅改變一位藝術家的意義與評價——而這樣的經驗,也逐漸連結到她對台灣近代美術的思考。
山梨老師說,她從1980年代起就一直關注台灣近代美術,但另一方面,她也曾有所顧慮:面對曾經是日本殖民地的台灣,如果由日本這一方率先為台灣美術進行價值判斷,是否有可能再次帶入一種「帝國」式的視線?因此,她一直期待並等待台灣自身的研究逐漸累積、深化。
而這一次,在「他鄉拾拾」這個由台灣研究者從自身視角出發、長期累積研究成果並展開討論的現場,她感受到台灣的研究已走到了相當成熟的階段,並表示自己「真的非常高興」。
我覺得,這段話非常精準地說出了這場論壇的意義。
面對日本時代的台灣美術,不是由日本單方面以一種「替台灣說明」的姿態去論述,也不是因為殖民統治的歷史而選擇避而不談;而是把台灣長年累積的研究,與至今仍散落、保存於日本各地的作品與史料放在一起,由雙方共同重新拼組這段歷史。
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8月17日の毎日新聞夕刊にて、「東台湾臨海道路」そしてシンポジウム「他郷拾拾」について報道いただきました!今回の毎日新聞の記事では、このシンポジウムへとつながる縁起として、改めて陳澄波《東台湾臨海道路》の発見から美術と地域をつなぐ複雑な歴史をしっかりと記事にして下さっています。素晴らしい記事を書いてくださった鈴木玲子記者、本当に有難うございました!
https://mainichi.jp/articles/20260817/dde/041/200/013000c
それに合わせて、4月の当日のことを少し振り返りたいと思います。
2026年4月25日、山口県旧県会議事堂で開催された台日交流シンポジウム「他郷拾拾――山口県における台湾美術と文学」は、日本各地に残る台湾近現代美術の作品や資料、記憶を掘り起こし、日台双方の研究によって歴史を再構築し、今後の共同研究や展覧会へつなげていく継続的な文化プロジェクトとして位置づけられます。
山口県防府市出身の、第11代台湾総督・上山満之進は、台湾美術展覧会(台展)の創設や画家・陳澄波との交流など、台湾近代美術と深い関わりがあります。シンポジウムでは、台湾の若手研究者が、日本統治期の台湾美術、山口県ゆかりの画家、文学者の活動について発表し、地域に残された資料や記憶を共有しました。
発表後のQ&Aでは、実際にお母様が報告のなかに登場した画家・美術教員に指導を受けていたという参加者もおられ、地域で開催する意義がまざまざと感じられる瞬間が数多くありました。
こうして、台湾美術史と山口の地域史を結び直す新たな視点が生まれたほか、作品の発見や寄贈、研究者・美術館・行政・地域団体のネットワーク形成に少なくない成果があったと思います。
また個人的に強く印象に残ったのが、千葉市美術館館長で日本博物館協会会長を務められる美術史家・山梨絵美子さんの「総合討論」でのお話です。
日本近代美術史、とりわけ黒田清輝研究の第一人者である山梨さんは、黒田の師ラファエル・コランを研究するなかで、かつてフランスの研究者から「それほど重要な画家ではない」という趣旨の言葉を返され、強い反発を覚えた経験を紹介されました。フランス美術史の中心から見れば重要性の低い画家であっても、日本近代美術の形成を考えるうえでは、コランは決して「大したことのない」存在ではありません。どこから歴史を見るかによって、作家の意味や評価は大きく変わる――その経験は、台湾近代美術を考えることにもつながっていったといいます。
山梨さんは、台湾の近代美術には1980年代から関心を寄せてきた一方、旧植民地である台湾の美術について日本側から先んじて価値づけを行うことが、再び「帝国」的な視線を持ち込むことにならないかというためらいがあり、まずは台湾自身の研究が深まっていくことを待っていた、と振り返られました。
そして今回、台湾の研究者たちが、自らの視点から研究を積み重ね議論する「他郷拾拾」の場に、その成熟を感じたことを「とても嬉しい」と語ってくださいました。
この言葉は、今回のシンポジウムの意義を、端的に表していたように思います。
日本統治期の台湾美術を、日本が一方的に「語ってあげる」のでも、植民地支配の歴史ゆえに触れるのを避けるのでもなく、台湾側で蓄積されてきた研究と日本側に残る作品や資料を持ち寄り、双方から歴史を組み立て直していく。その段階にようやく来たのだ、という実感のこもった言葉として心に残りましたし、また、日本の近代美術研究の専門家としての誠実さと矜持をも感じることができました。
写真は、シンポジウムの共催である陳澄波文化基金会の陳立栢董事長と。
ありそうでこれまで無かったツーショット!
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