2008/2/19 “獨賣”多介紹百年前日本食品安全等先知
食道樂
Hana. A Daughter of Japan.
Murai, Gensai.
Tokyo: Hochi Shimbun, 1904. lxv,297pp.
Extensively illustrated with colored engravings of great charm and beauty. Original pictorial cloth and box. Box rubbed. In very fine condition.
1904年10月に一冊の本が刊行された。タイトルは『Hana――a Daughter of Japan』。中は英文だが、絹布張りの表紙に糸綴じという和装である。挿画の一枚は35回の重ね刷りで、百年近く経っていると は思えないほど色鮮やかで美しい。美術品のようなこの本の著者は村井弦斎、翻訳者は川井運吉と記されている。村井弦斎
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村井 弦斎(むらい げんさい 村井 弦齋、文久3年12月18日(1864年1月26日) - 昭和2年(1927年)7月30日)は、愛知県豊橋市出身の明治・大正時代のジャーナリスト。諱は寛(ゆたか)。三河吉田藩の武家の子。父も祖父も儒者として藩に使え、漢学をよくした家柄だった。父の村井清は著述家として『傍訓註釈 西洋千字文』など数冊の本を出版、また渋沢栄一の子息の家庭教師も勤めたほどの教養人であった。甥は作曲家の呉泰次郎である。
父は明治維新後、社会の身分の変動を目の当たりにしたことから「息子には漢学だけでなく洋学も早くから学ばせたい」と考えるようになり、1872年に一家の将来を9歳の弦斎に託し一家で上京した。
彼は幼少のころから、ロシア語の家庭教師をつけられたり、漢学の塾に入れられたりして、早期の英才教育を受けた。1873年に東京外国語学校(現・東京外国語大学)が開校すると、入学資格が13歳以上にもかかわらず、12歳で受験・入学させられた。猛勉強で首席にもなったものの健康を害し、1881年に露西亜語科を中退。その後、ロシア語の翻訳や著述で身を立てるようになる。しかし、家庭のしつけや猛勉強などがたたって、うつ病傾向などの神経性の疾患を抱え、しばらく療養した後に、20歳でアメリカに外遊、一年間滞在した。
帰国後、報知新聞客員となり、明治から大正にかけて著述家として活躍した。代表作は、報知新聞に1903年(明治36年)1月から12月まで連載された『百道楽シリーズ』で、『酒道楽』『釣道楽』『女道楽』『食道樂』 が執筆された。他にも、玉突道楽、芝居道楽、囲碁道楽など案はあったようであるが、執筆したのは4作だけである。これらの作品は、食道楽の様な道楽にうつ つを抜かす遊興の徒を描いたものではなく、その様な道楽をたしなめ、飲酒の健康被害を語り、正妻以外に愛人をかこう旧来の悪弊を糾弾する教訓・啓蒙小説で ある。その中の『食道楽』(しょくどうらく)は、明治時代、徳冨蘆花の『不如帰』と並んで最もよく読まれ、小説でありながら、その筋のあちこちに600種以上の四季折々の料理や食材の話題が盛り込まれており、『美味しんぼ』や『クッキングパパ』などのグルメコミックの先駆けともいうべき作品である。ベストセラー作品として文学史的な評価も高い。また、「小児には德育よりも、智育よりも、躰育よりも、食育が先き。躰育、德育の根元も食育にある。」と食育という用語を記述した。続編も書かれたが、正編ほどの反響はなかった。『食道楽』の執筆前後、弦斎は、大隈重信の従兄弟の娘である尾崎多嘉子と結婚している。また、彼女の母親の妹は、後藤象二郎の後妻であった。
結婚後、1904年から亡くなるまで神奈川県平塚市の平塚駅の南側に居住した。『食道楽』の印税で屋敷の広大な敷地に和洋の野菜畑、カキ、ビワ、イチジクなどの果樹園、温室、鶏、ヤギ、ウサギなどの飼育施設、果ては厩舎を築造し、新鮮な食材を自給した。当時は珍しかったイチゴやアスパラガスの栽培まで行った。また各界の著名人を招待したり、著名な料理人や食品会社の試作品などが届けられるという美食の殿堂のように取りざたされる優雅な暮らしを営んだ。ただし、彼は一連の『食道楽』ものを終了した後に断筆、報知新聞をも辞職してしまう。その後、脚気治療のために玄米食の研究に没頭し、また断食、自然食を実践した。また、自ら竪穴住居に住み、生きた虫など、加工しない自然のままのものだけを食べて暮らし、奇人、変人扱いされた。平塚市では、2000年以降、毎年秋に弦斎の住まい趾(弦斎公園)で弦斎祭りを開催している。
[編集] 主要な著書
入手可能なものを挙げる。
- 『酒道楽』上下 新人物往来社 1977年(村井米子編)
- 『釣道楽』上下 新人物往来社 1977年
- 『定本食道楽』上-春の巻、夏の巻、下-秋の巻、冬の巻 新人物往来社 1978年(村井米子編)
- 『食道楽』上 岩波文庫 2005年
- 『食道楽』下 岩波文庫 2005年
- 『酒道楽』 岩波文庫 2006年
- 『食道楽の献立』角川春樹事務所 1997年
- 『台所重宝記』平凡社 2001年 (村井米子編訳) ISBN 4582764185
- 黒岩比佐子『「食道楽」の人村井弦斎』岩波書店 2004年
[編集] 弦斎を主人公とした小説
- 火坂雅志『美食探偵』(講談社文庫, 2003年) ISBN 4062738252
[編集] 外部リンク
- 収蔵コレクション展8『食道楽』の人 村井弦斎神奈川近代文学館のページ
- 村井弦斎 上平塚博物館のページ
- 村井弦斎の生涯
- 『食道楽』に学ぶ
- 『食道楽』の人 村井弦斎
- 1904年の英文小説『Hana』明治の奇才・村井弦斎の足跡
- 弦斎の住まい趾(現、弦斎公園)の地図
『食道楽』の人 村井弦斎
今からおよそ100年前に,10万部以上という当時としては破格の大ベストセラーである『食道楽』という小説を書いた作家がいた.その名前は村井弦斎.弦 斎は「報知新聞」をはじめとする新聞・雑誌に数多くの小説を連載し,その小説が洛陽の紙価を高からしめた,とさえ評された人気作家である.「報知新聞」に 足掛け6年連載した未来小説『日の出島』は,明治期に書かれた最も長い小説として話題を呼び,さらに,“百道楽”を小説に書くという壮大な構想のもとに生 まれたのが,『釣道楽』『酒道楽』『女道楽』などの教訓小説だった.1903(明治36)年に連載された『食道楽』は,小説の中に西洋料理,日本料理,中 国料理など実に630種ものレシピを織り込んだ奇書で,世間を大いに驚かせた.当時,ヒロインの名前をつけた料理屋が開店したり,「食道楽」という雑誌が 創刊するなど,“食道楽ブーム”が巻き起こる.歌舞伎座でも弦斎の脚本による『食道楽』が公演され,舞台の上で役者がシュークリームを作って観客に配るな ど,その奇抜な趣向が話題を呼んだ. 村井弦斎は『食道楽』で得た収入で,神奈川県の平塚の地に1万6400坪の土地を購入し,菜園,果樹園,温 室,養鶏場,山羊舎などを設けて,自ら食道楽を実践した.料理上手で美しい妻と6人の子どもたちと共に,ユートピアのような生活を営む弦斎は,当時の文士 の理想の姿として羨望されもした.だが,あろうことか,晩年の弦斎は,美食とは対極にあるとも思える“断食”や“木食”の研究に没頭するようになる.35 日間の長期断食を実践して本を出し,山中で約半年間も穴居して,自然にあるものだけを食べるという“天然食”の記録を雑誌に発表するなど,あたかも「仙 人」のような生活を実践したため,次第に奇人視されるようになっていく.晩年の弦斎は文壇からすっかり忘れられ,今では文学史の上でもほとんど話題にされ ることはない. 本書は,その忘れられたベストセラー作家である村井弦斎の厖大な書簡やノートや手帳などの未公開資料を調査し,謎に満ちた数奇な 一生を解き明かした初めての本格的評伝である.その人生の行路には,矢野龍溪,斎藤緑雨,宮武外骨,渋沢栄一,大隈重信など,思いがけない人々との交渉が 見え隠れする.村井弦斎の生の光と影を,幕末から昭和の初めまでの大きな時代背景に溶かし込んで描き出した本書は,もう一つの近代の落丁を埋めるものとい えよう. |
黒岩比佐子(くろいわ ひさこ) | |
1958年,東京都生まれ.慶応義塾大学文学部卒業.ノンフィクションライター.著書に『音のない記憶――ろうあの天才写真家 井上孝治の生涯』『伝書鳩――もうひとつのIT』(いずれも文藝春秋刊)がある. |
『食道楽』の人について | |
I 儒者の子――父の影の下で | |
1 | 生い立ちと時代背景 漢学の家/大逆転 |
2 | 東京外国語学校時代 ロシア語を学ぶ/洋学と漢学 |
3 | 挫折 脳病/「衛生」と「経済」/渡米 |
4 | 報知社入社 渋沢栄一と父清/矢野龍溪との出会い/『経国美談』の文体実験 |
II 「新聞小説家」村井弦斎 | |
1 | 初期の小説をたどる 父からの“自立宣言”/亡き母への追慕/「郵便報知新聞」第一作/家庭小説を先駆ける/報知の四天王 |
2 | 大長篇『日の出島』へ 「都新聞」時代/日清戦争と「報知」/『日の出島』連載開始/ル・サージュ作『ジル・ブラース』/文壇批判としての「文学魔界」論 |
3 | 教訓小説としての『食道楽』 禁酒と廃妾の勧め/630種の料理/自費出版/食道楽ブーム/宮武外骨のパロディ |
III ユートピア | |
1 | 多嘉子との結婚 「わが理想に適ひたる妻」/斎藤緑雨との交錯/妻への433通 |
2 | 日露戦争と『HANA』 日露戦争勃発/異色の英文小説/戦時下での看護婦たち/海外の書評など/鴎外の『花子』像 |
3 | 美食の殿堂――「報知新聞」から「婦人世界」へ 平塚「対岳楼」/婦人雑誌への転身/「成功者」/「ニコニコ」と長面会 |
IV “仙人”への途をゆく | |
1 | 断食・木食の研究 脚気論争/35日間の断食/『小松嶋』と木食仙人/山中穴居生活の実践 |
2 | 社会奉仕活動と健康食養法 古典芸能へのパトロネージュ/健康法ブーム/命がけの「研究」 |
3 | 人類と宇宙の一元論 関東大震災後/奇跡の治療法/息子の自殺/存在した遺稿 |
現代に生きる村井弦斎 | |
「20世紀の予言」/「食育」の思想/ジャーナリスト村井弦斎 | |
注 | |
調査・取材協力(個人・団体) | |
主要参考文献 | |
村井弦斎年譜 | |
あとがき | |
人名索引 | |
御嶽山の小屋 |
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