Shinzo Abe’s Party Triumphs in Parliamentary Vote, Extending Legacy
The Liberal Democrats and their partners gained enough seats to form a supermajority. They can now amend the country’s pacifist Constitution.
When Mr. Abe gave the first speech by a Japanese prime minister to the U.S. Congress in 2015, he acknowledged the weight of the past but avoided a direct personal apology for Japan’s role in the war.
“History is harsh. What is done cannot be undone,” he said. “Our actions brought suffering to the peoples in Asian countries. We must not avert our eyes from that.”
In a speech in August 2020 to mark the 75th anniversary of the end of World War II, Mr. Abe focused almost exclusively on the Japanese victims of the war, either on the battlefields of Asia, in air raids on cities across the country or in the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki. He made no references to learning the lessons of history.
After a brief stint at Kobe Steel, Mr. Abe began his political career in 1982, serving as executive assistant to his father, who was then foreign minister.
He married Akie Matsuzaki, a daughter of a former president of Morinaga, one of Japan’s largest confectionary companies, in 1987. The couple never had children.
日本
Support for Japanese Prime Minister Shinzo Abe has bounced in the first poll conducted after he expressed "utmost grief" for the suffering Japan caused during World War Two in a speech marking the 70th anniversary of Japan's defeat.
Abe said on Friday he upheld past official apologies for the war, but the conservative leader said future generations should not have to keep apologizing for the mistakes of the past.
In the survey by Kyodo news agency published on Saturday, support for Abe's government rose to 43.2 percent from 37.7 percent in the previous poll in July, a result likely to reinforce the view that he is set to win re-election as Liberal Democratic Party leader in a September party election.
The disapproval rating fell 5.2 percentage points to 46.4 percent, although it still surpassed the support rate.
The survey showed 44.2 percent of those polled viewed Abe's 70th anniversary statement favorably, exceeding 37 percent who didn't.
----中國對將它與台灣並舉,不爽,惡言相向。
我國對在那場戰爭中的行為多次表示深刻的反省和由衷的歉意。為了以實際行動表明這種心情,我們將印尼、菲律賓等東南亞國家以及台灣、韓國、中國等亞洲鄰居人民走過的苦難歷史銘刻在心,戰後一直致力於這些國家的和平與繁榮。
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日本首相安倍晉三14日發表二次世界大戰結束70週年談話,日本內閣發布安倍談話全文內容。
中文
【中央社/東京14日綜合外電報導】
內閣總理大臣談話二○一五年八月十四日內閣會議決定
正值戰爭結束七十周年之際,我們認為,必須平靜地回顧走向那場戰爭的道路、戰後的進程、二十世紀那一時代,並從歷史的教訓中學習面向未來的智慧。
一百多年前,以西方國家為主的各國的廣大殖民地遍及世界各地。十九世紀,以技術的絕對優勢為背景,殖民統治亦波及到亞洲。毫無疑問,其帶來的危機感變成日本實現近代化的動力。日本首次在亞洲實現立憲政治,守住了國家獨立。日俄戰爭鼓舞了許多處在殖民統治之下的亞洲和非洲的人們。
經過席捲全世界的第一次世界大戰,民族自決運動的擴大阻止了此前的殖民地化。那場戰爭造成了一千多萬死難者,是一場悲慘的戰爭。人們渴望和平,創立國際聯盟,創造出不戰條約,誕生出使戰爭本身違法化的新的國際社會潮流。
當初,日本也統一了步調。但是,在世界經濟危機發生後,歐美各國以捲入殖民地經濟來推動區域經濟集團化,從而日本經濟受到重大打擊。此間,日本的孤立感加深,試圖依靠實力解決外交和經濟上的困境。對此,國內政治機制也未能予以阻止。其結果,日本迷失了世界大局。
滿洲事變以及退出國際聯盟——日本逐漸變成國際社會經過巨大災難而建立起來的新的國際秩序的挑戰者,該走的方向有錯誤,而走上了戰爭的道路。
其結果,七十年前,日本戰敗了。
正當戰後七十周年之際,我在國內外所有死遇者面前,深深地鞠躬,並表示痛惜,表達永久的哀悼之意。
由於那場戰爭失去了三百多萬同胞的生命。有不少人在掛念祖國的未來、祈願家人的幸福之中捐軀。戰爭結束後,也有不少人在嚴寒或炎熱的遙遠異國他鄉苦於饑餓或疾病之中去世。廣島和長崎遭受的原子彈轟炸、東京以及各城市遭受的轟炸、沖繩發生的地面戰鬥等等,這些導致了許許多多的老百姓悲慘遇難。
同樣,在與日本兵戎相見的國家中,不計其數的年輕人失去了原本有著未來的生命。在中國、東南亞、太平洋島嶼等成為戰場的地區,不僅由於戰鬥,還由於糧食不足等原因,許多無辜的平民受苦和遇難。我們也不能忘記,在戰場背後被嚴重傷害名譽與尊嚴的女性們的存在。
我國給無辜的人們帶來了不可估量的損害和痛苦。歷史真是無法取消的、殘酷的。每一個人都有各自的人生、夢想、所愛的家人。我在沉思這樣一個明顯的事實時,至今我仍然無法言語,不禁斷腸。
在如此重大損失之上,才有現在的和平。這就是戰後日本的出發點。
再也不要重演戰禍。
事變、侵略、戰爭。我們再也不應該用任何武力威脅或武力行使作為解決國際爭端的手段。應該永遠跟殖民統治告別,要實現尊重所有民族自決權利的世界。
我國帶著對那場戰爭的深刻悔悟,作出了如此發誓。在此基礎上,我國建設自由民主的國家,重視法治,一直堅持不戰誓言。我們對七十年以來所走過的和平國家道路默默地感到自豪,並且今後也將繼續貫徹這一堅定的方針。
我國對在那場戰爭中的行為多次表示深刻的反省和由衷的歉意。為了以實際行動表明這種心情,我們將印尼、菲律賓等東南亞國家以及台灣、韓國、中國等亞洲鄰居人民走過的苦難歷史銘刻在心,戰後一直致力於這些國家的和平與繁榮。
這些歷代內閣的立場今後也將是堅定不移的。
不過,即使我們付出多麼大的努力,失去家人的悲哀和在戰禍中飽受塗炭之苦的記憶也絕不會消失。
因此,我們要將下述事實銘刻在心。
超過六百萬人的戰後回國者從亞洲太平洋的各地總算平安回國,成為重建日本的原動力。在中國被殘留的接近三千人的日本兒童得以成長,再次踏上祖國土地。美國、英國、荷蘭、澳大利亞等國家的被俘的人們,長期以來訪問日本,祭奠雙方的戰死者。
飽嘗戰爭痛苦的中國人、以及曾經被俘並遭受日軍施加難以忍受痛苦的人做得如此寬容,他們內心的糾葛究竟多麼大,付出的努力又是多麼大?
我們必須將此事掛在心上。
戰後,如此寬容的胸懷使得日本重返國際社會。值此戰後七十年之際,我國向致力於和解的所有國家、所有人士表示由衷的感謝。
現在我國國內戰後出生的一代已超過了總人口的80%。我們不能讓與戰爭毫無關係的子孫後代擔負起繼續道歉的宿命。儘管如此,我們日本人要超越世代,正面面對過去的歷史。我們有責任以謙虛的態度繼承過去,將它交給未來。
我們的父母一代以及祖父母一代在戰後廢墟和貧困深淵中維繫了生命。他們帶來的未來是可以讓我們一代繼承,且交給我們下一代。這不僅是前輩們不懈努力的結果,也是曾經作為敵國激烈交火的美國、澳大利亞、歐洲各國以及許多國家超越恩仇提供善意和支援的結果。
我們必須將此事告訴未來的一代。將歷史的教訓深深地銘刻在心,開拓更加美好的未來,為亞洲及世界的和平與繁榮而盡力。我們擔負著這一重大責任。
我們繼續將謀求以實力打開僵局的過去銘刻在心。正因為如此,我國繼續奉行的是,任何爭端都應該尊重法治,不是行使實力而是以和平與外交方式加以解決的原則。這是我國今後也將堅持並向世界各國推廣的原則。我國作為經歷過原子彈轟炸的唯一國家,追求實現核不擴散和徹底銷毀核武器,在國際社會上履行自己的責任。
我們繼續將在二十世紀的戰爭期間眾多女性的尊嚴與名譽遭受嚴重傷害的過去銘刻在心。正因為如此,我國希望成為一個國家要時刻體貼女性的心。我國將在世界領先努力將二十一世紀成為不讓女性人權遭受侵害的世紀。
我們繼續將區域經濟集團化促發糾紛萌芽的過去銘刻在心。正因為如此,我國努力發展不受任何國家恣意影響的自由、公正、開放的國際經濟體制,加強對發展中國家的支援,牽引走向更加繁榮的世界。繁榮才是和平的基礎。應對暴力溫床的貧困,為全世界所有人享受醫療和教育以及自立的機會而做出更大的努力。
我們繼續將我國曾經當過國際秩序挑戰者的過去銘刻在心。正因為如此,我國堅定不移地堅持自由、民主主義、人權這些基本價值,與共用該價值的國家攜手並進,高舉「積極和平主義」的旗幟,為世界的和平與繁榮做出較之以前更大的貢獻。
我們有決心,面向戰後八十年、九十年以及一百年,與我國國民各位共同努力建設如上所述的日本。
[閣議決定]
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣 安倍 晋三
Cabinet Decision
On the 70th anniversary of the end of the war, we must calmly reflect upon the road to war, the path we have taken since it ended, and the era of the 20th century. We must learn from the lessons of history the wisdom for our future.
More than one hundred years ago, vast colonies possessed mainly by the Western powers stretched out across the world. With their overwhelming supremacy in technology, waves of colonial rule surged toward Asia in the 19th century. There is no doubt that the resultant sense of crisis drove Japan forward to achieve modernization. Japan built a constitutional government earlier than any other nation in Asia. The country preserved its independence throughout. The Japan-Russia War gave encouragement to many people under colonial rule from Asia to Africa.
After World War I, which embroiled the world, the movement for self-determination gained momentum and put brakes on colonization that had been underway. It was a horrible war that claimed as many as ten million lives. With a strong desire for peace stirred in them, people founded the League of Nations and brought forth the General Treaty for Renunciation of War. There emerged in the international community a new tide of outlawing war itself.
At the beginning, Japan, too, kept steps with other nations. However, with the Great Depression setting in and the Western countries launching economic blocs by involving colonial economies, Japan's economy suffered a major blow. In such circumstances, Japan's sense of isolation deepened and it attempted to overcome its diplomatic and economic deadlock through the use of force. Its domestic political system could not serve as a brake to stop such attempts. In this way, Japan lost sight of the overall trends in the world.
With the Manchurian Incident, followed by the withdrawal from the League of Nations, Japan gradually transformed itself into a challenger to the new international order that the international community sought to establish after tremendous sacrifices. Japan took the wrong course and advanced along the road to war.
And, seventy years ago, Japan was defeated.
On the 70th anniversary of the end of the war, I bow my head deeply before the souls of all those who perished both at home and abroad. I express my feelings of profound grief and my eternal, sincere condolences.
More than three million of our compatriots lost their lives during the war: on the battlefields worrying about the future of their homeland and wishing for the happiness of their families; in remote foreign countries after the war, in extreme cold or heat, suffering from starvation and disease. The atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, the air raids on Tokyo and other cities, and the ground battles in Okinawa, among others, took a heavy toll among ordinary citizens without mercy.
Also in countries that fought against Japan, countless lives were lost among young people with promising futures. In China, Southeast Asia, the Pacific islands and elsewhere that became the battlefields, numerous innocent citizens suffered and fell victim to battles as well as hardships such as severe deprivation of food. We must never forget that there were women behind the battlefields whose honour and dignity were severely injured.
Upon the innocent people did our country inflict immeasurable damage and suffering. History is harsh. What is done cannot be undone. Each and every one of them had his or her life, dream, and beloved family. When I squarely contemplate this obvious fact, even now, I find myself speechless and my heart is rent with the utmost grief.
The peace we enjoy today exists only upon such precious sacrifices. And therein lies the origin of postwar Japan.
We must never again repeat the devastation of war.
Incident, aggression, war -- we shall never again resort to any form of the threat or use of force as a means of settling international disputes. We shall abandon colonial rule forever and respect the right of self-determination of all peoples throughout the world.
With deep repentance for the war, Japan made that pledge. Upon it, we have created a free and democratic country, abided by the rule of law, and consistently upheld that pledge never to wage a war again. While taking silent pride in the path we have walked as a peace-loving nation for as long as seventy years, we remain determined never to deviate from this steadfast course.
Japan has repeatedly expressed the feelings of deep remorse and heartfelt apology for its actions during the war. In order to manifest such feelings through concrete actions, we have engraved in our hearts the histories of suffering of the people in Asia as our neighbours: those in Southeast Asian countries such as Indonesia and the Philippines, and Taiwan, the Republic of Korea and China, among others; and we have consistently devoted ourselves to the peace and prosperity of the region since the end of the war.
Such position articulated by the previous cabinets will remain unshakable into the future.
However, no matter what kind of efforts we may make, the sorrows of those who lost their family members and the painful memories of those who underwent immense sufferings by the destruction of war will never be healed.
Thus, we must take to heart the following.
The fact that more than six million Japanese repatriates managed to come home safely after the war from various parts of the Asia-Pacific and became the driving force behind Japan’s postwar reconstruction; the fact that nearly three thousand Japanese children left behind in China were able to grow up there and set foot on the soil of their homeland again; and the fact that former POWs of the United States, the United Kingdom, the Netherlands, Australia and other nations have visited Japan for many years to continue praying for the souls of the war dead on both sides.
How much emotional struggle must have existed and what great efforts must have been necessary for the Chinese people who underwent all the sufferings of the war and for the former POWs who experienced unbearable sufferings caused by the Japanese military in order for them to be so tolerant nevertheless?
That is what we must turn our thoughts to reflect upon.
Thanks to such manifestation of tolerance, Japan was able to return to the international community in the postwar era. Taking this opportunity of the 70th anniversary of the end of the war, Japan would like to express its heartfelt gratitude to all the nations and all the people who made every effort for reconciliation.
In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize. Still, even so, we Japanese, across generations, must squarely face the history of the past. We have the responsibility to inherit the past, in all humbleness, and pass it on to the future.
Our parents’ and grandparents’ generations were able to survive in a devastated land in sheer poverty after the war. The future they brought about is the one our current generation inherited and the one we will hand down to the next generation. Together with the tireless efforts of our predecessors, this has only been possible through the goodwill and assistance extended to us that transcended hatred by a truly large number of countries, such as the United States, Australia, and European nations, which Japan had fiercely fought against as enemies.
We must pass this down from generation to generation into the future. We have the great responsibility to take the lessons of history deeply into our hearts, to carve out a better future, and to make all possible efforts for the peace and prosperity of Asia and the world.
We will engrave in our hearts the past, when Japan attempted to break its deadlock with force. Upon this reflection, Japan will continue to firmly uphold the principle that any disputes must be settled peacefully and diplomatically based on the respect for the rule of law and not through the use of force, and to reach out to other countries in the world to do the same. As the only country to have ever suffered the devastation of atomic bombings during war, Japan will fulfil its responsibility in the international community, aiming at the non-proliferation and ultimate abolition of nuclear weapons.
We will engrave in our hearts the past, when the dignity and honour of many women were severely injured during wars in the 20th century. Upon this reflection, Japan wishes to be a country always at the side of such women’s injured hearts. Japan will lead the world in making the 21st century an era in which women’s human rights are not infringed upon.
We will engrave in our hearts the past, when forming economic blocs made the seeds of conflict thrive. Upon this reflection, Japan will continue to develop a free, fair and open international economic system that will not be influenced by the arbitrary intentions of any nation. We will strengthen assistance for developing countries, and lead the world toward further prosperity. Prosperity is the very foundation for peace. Japan will make even greater efforts to fight against poverty, which also serves as a hotbed of violence, and to provide opportunities for medical services, education, and self-reliance to all the people in the world.
We will engrave in our hearts the past, when Japan ended up becoming a challenger to the international order. Upon this reflection, Japan will firmly uphold basic values such as freedom, democracy, and human rights as unyielding values and, by working hand in hand with countries that share such values, hoist the flag of “Proactive Contribution to Peace,” and contribute to the peace and prosperity of the world more than ever before.
Heading toward the 80th, the 90th and the centennial anniversary of the end of the war, we are determined to create such a Japan together with the Japanese people.
August 14, 2015
Shinzo Abe, Prime Minister of Japan
NHK:戰後70年安倍談話草案含道歉內容
童倩BBC中文網日本特約記者
《安倍談話》到底會否提及道歉引起各方關注。
日本官方電視台NHK周一(8月10日)早上不斷滾動的頭條新聞是「戰後70年談話草案明確記載道歉等內容」。
報道稱,首相安倍晉三預定在8月14日經內閣決定,他召開記者會發表的《安倍談話》草案繼承了《村山談話》中道歉、反省、侵略、殖民統治所有精髓內容。
NHK的報道是迄今為止有關安倍今年發表二戰結束70周時的歷史觀《安倍談話》的內容,首次傳出包含了「道歉」的消息。
安倍今年以來在多個內外公開場合言及二戰問題時一再明確表示深刻反省,但未表道歉,也未用過「侵略」和「殖民統治」的辭匯來定義日本在二戰中的行動。
過程演變微妙
不過8月6日安倍任命16名學者等研究《安倍談話》內容的機構「二十一世紀構想懇談會」提交給安倍的最終《報告書》中,指出侵略和殖民統治,使得不少日本內外輿論相信《安倍談話》也可能還會含「侵略」、「殖民統治」兩辭。
《朝日新聞》8月9日報道說,安倍8月7日晚與執政公明黨代表山口那津男會談,討論《安倍談話》內容時,提出的草案不包括「道歉」一辭,與《日本經濟新聞》8月8日披露的草案不含「道歉」一致。
《日經》報道說,草案含反省、戰後走和平國家道路、面向未來3部分。
不過《朝日新聞》報道中,引述安倍與山口會談時在座者透露說,會談中山口表示異議:「首相說姿態上整體繼承《村山談話》和《小泉談話》,但道歉的意思必須向世界各國傳達」,敦促《安倍談話》補充道歉內容。
報道說,山口還對《安倍談話》草案未必需要明確記載「侵略」和「殖民統治」的安倍意見說,「為什麼日本要反省,這個反省原因必須明確」,要求安倍明確地把「侵略」一辭載入《安倍談話》中。
評估民意趨勢
NHK周一的報道說,安倍政權內的成員評價了包含《村山談話》道歉、反省、侵略、殖民統治所有內容,目前安倍正在為內閣會議決定做最終的文字調整。
報道說,安倍表示不想照搬《村山談話》字句,「看來是想用自己的語言來傳達他的真意」。NHK還引述安倍政權內的成員說:「也許有人會指出細節該怎樣,但整體上相信是大多數國民會共感的內容。」
據日本《讀賣新聞》系統的日本電視台周日晚發表8月7日至9日做的最新民意調查結果,贊成《安倍談話》包含《村山談話》的道歉、侵略、殖民統治等所有辭匯的被訪者最多,為35.1%;贊成不包含道歉,但應包含侵略和殖民統治辭匯的被訪者為26.4%;贊成都不要包含的被訪者為24.2%。
該民調結果同時說明,安倍政權的支持率持續4個月下跌到2012年12月安倍第二次政權成立以來的最低點37.8%,不支持相反上升到46.7%。
自從安倍急於力求在9月閉幕的本屆國會上成立安保法案的態度鮮明以來,他的支持率開始顯著下跌。期間,防衛大臣中谷元在國會答辯不力、首相助理磯崎陽輔失言等問題也造成安倍政權負面影響。
目前安倍政權的支持者一般相信剩下在歷史、外交問題上民族情緒高昂的固定層,NHK周一報道《安倍談話》草案完全繼承《村山談話》反省、道歉、侵略、殖民統治的辭匯後,「2頻道」等幾個日本網站上隨即一片「徹底失望了」、「安倍原來不過如此」、「最後是不是安倍要下跪謝罪」等網民吐槽。
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- 安倍首相在美國國會演講中展示的歷史認識與日本的選擇
對於受到美國歐巴馬總統國賓級規格接待的安倍晉三首相而言,此次訪美可謂享盡了破例的待遇。首先,喜歡公事公辦的歐巴馬總統這次居然奉送了一份意外驚喜,親自陪同安倍首相參觀林肯紀念堂(Lincoln Memorial),他還說了不少日語,比如將晚宴上吟誦的俳句中的一節(harmonious feeling )翻譯成「和やかに(和睦久存——譯註)」,讓會場的氣氛輕鬆起來,在聯合記者會上,他用日語「お互いのために(為了彼此——譯註)」直截了當地表述了加強日美同盟關係的目的。然後,作為告別,他在推特上說「近いうちに(近期再會——譯註)」,約定要在6月的G7峰會上再度聚首。另一方面,美國國會也首次邀請了日本首相參加兩院聯席會議,並多次以長時間起立鼓掌方式回應了安倍的演講。
兩年前的訪美之行,安倍首相考慮到外祖父岸信介當年在舉行首腦會談之前先與艾森豪(Dwight Eisenhower)總統打了高爾夫球,於是贈送了球桿,但歐巴馬總統反應平淡,後來甚至沒有舉行聯合記者會,兩相對比,態度的落差真是顯而易見。美方對此次安倍訪美的熱情態度意味著什麼?首先,我想從這個角度加以思考。
外祖父岸信介表明決心
「今天,有幸在這個民主主義的殿堂上發言,我感到無比光榮。當迎著這個頗具歷史淵源的殿堂,來到國會山(Capitol Hill)時,我的心中感慨萬千。」
1957年6月20日,安倍的外祖父岸信介首相分別在美國眾參兩院發表演講,開篇就用這樣的言辭表達了對美國式民主主義的敬意和憧憬,以及日本將在戰後緊盯美國的背影,作為民主國家重新邁出步伐的「決心」。
當時美國擔心參加了亞非(萬隆)會議(1955年),並獲准加入聯合國(1956年)的日本今後是否會走上「中立主義」的道路,為了掌握對日政策調整的主導權,美方安排了岸信介訪美。
在推進亞太戰略方面,日本對美國而言具有無可替代的戰略價值。因此,美國制定了促使「穩健保守政權」在日本紮根、將日本日漸強大的民族主義拉攏入「日美同盟的主線」之中的戰略目標(對日政策的根本NSC5516/1,1955年4月決定)。
在這種背景下實現的岸信介國會演講,是日本首相直接面向作為美國國民代表的聯邦議員傾訴的機會,成為了一次極為重要的政治活動。石橋內閣短命而終,接任的岸信介在訪美之前遍訪了東南亞6國(1957年5月,訪美後又訪問了9個國家)。他彷彿是作為「亞洲的代表」一般到訪了華盛頓。
在演講中,岸信介要求與往日的敵對國美國成為更加對等的夥伴,表明了將「作為自由世界的忠誠一員」與國際國產主義鬥爭的決心。演講的核心是明確表達了日本希望加入以美國為中心的西方自由主義陣營。會場數次響起雷鳴般的掌聲。通過此次訪美,岸信介為3年後修改安保條約的提案獲批鋪平了道路。
安倍國會演講的歷史意義
時間過去了半個多世紀。俄羅斯以武力吞併了烏克蘭,中國試圖在東支那海(東海——譯註)和南支那海(南海——譯註)「通過強力單方面改變現狀」(日美兩國首腦),在這種新的歷史轉折時期,令人意想不到的是,岸信介的外孫,現任首相安倍晉三受邀來到國會山國會大廈,站上了相同的講臺。這距離他在印尼參加萬隆會議60週年首腦會談並發表演講僅僅過去了一週時間。這也讓人聯想到他與遍訪東南亞國家後立刻訪美的岸信介首相之間的緣分。
安倍演講的題目是「邁向希望的同盟(toward an alliance of hope)」,從草稿到最終完成至少修改了10稿以上。首先是了解安倍首相想法和心態的谷口智彥(內閣參事、慶應義塾大學研究所教授)負責撰寫初稿。在此基礎上,首相、谷口等人反覆磋商,針對講話的結構和順序、表達方式、關鍵詞的使用方式和英語譯法的準確性等,從各種角度進行了仔細的推敲。其間還向谷內正太郎(國家安全保障會議事務局長)、佐佐江賢一郎(駐美大使)和齋木昭隆(外務事務次官)徵求了意見。由於「remorce(反省)」這個關鍵詞會出現兩次,為了表現對於眾多「美國年輕人」喪命的第二次世界大戰這段「無可挽回的、慘烈的」歷史的反思和懺悔之意,所以將其中一個改成了更具宗教意義的「repentance(悔悟)」。定稿方案直到4月26日才在飛往美國的專機上被交到了首相手中,完成稿的最終出爐可謂經過了細緻入微的反覆推敲與琢磨。
4月29日,首相的聲音在美國國會大廈響起。英語演講全長約45分鐘,分為「開篇」「美國與我」「美國民主主義與日本」「第二次大戰紀念」「往昔的敵人,今日的朋友」「美國與戰後日本」「跨太平洋經濟合作協議」「只有改革才能變成強大的日本」「戰後世界的和平與日本的選擇」「區域同盟的使命」「日本高舉的新旗幟」「對未來的希望」等部分。雖然兩國的士兵曾經彼此傷害,但經過真正的和解後,如今已經建立起擁有共同價值觀、由深厚互信和友情情誼連接起來的國家關係。安倍首相在演講中講述了戰後70年間力求成為「希望的同盟」的日美關係的成功故事。
在歷史認識方面的對美融合
對決、和解,然後建立起友情情誼的「朋友」為度過危機而向未來發起挑戰,這完全是美國人喜歡的故事情節。「曾經激戰的敵人成為了交心的朋友」——在提及日美激烈戰鬥過的硫磺島時,安倍首相加入了一個小插曲,他指著聽眾席,介紹了曾率領一個中隊登陸硫磺島的美國海軍大尉(當時)與指揮日本軍隊實施防禦戰的栗林忠道大將之孫新藤義孝已經握手言和的事情,安倍的演講給美國國會議員們留下了良好的印象。
除了廣島、長崎遭原子彈轟炸等問題外,作為第二次世界大戰一個方面(日美戰爭)的了斷(處理方法),演講展示了雙方的「乾脆痛快」。安倍首相用這種形式來證明兩國基本上在戰時和戰後的歷史認識上取得了共識,換句話說,這是最近不再公然提出「擺脫戰後體制」、事實上已經將此封印的首相在歷史認識方面尋求「對美融合」的表達。
綜合以上情況,議員們對將最大重心放在了「對未來的希望」這個章節的安倍演講給予的稱讚聲中恐怕帶有以下的含義。
日本的首相向作為美國國民代表的議員承諾,高舉基於國際協調主義的「積極和平主義」旗幟的日本與擁有共同價值觀的美國之間具有情感情誼,日本將通過這種情誼在國際社會上發揮作用。
若將安倍首相的這種表態與日美首腦會談上的成果——「昔日的敵對國成為如今的堅定同盟國」,作為「展現出和解力量的典範」是「並非僅憑國境加以定義的」「擁有全球射程的同盟」(日美聯合聲明願景聲明)——綜合起來加以思考,那麼意味著日本已經宣誓:在目前這個世界史的分岔路口,自己將堅決站在美國一方。
這就是立於歷史分岔路口的首相,在追憶58年前岸信介演講的同時向國內外展示出的決斷。
已經寫好的「戰後70年談話的序章」
在戰後70年的今年,從參拜伊勢神宮後的年初記者會開始,經過在聯合國創立70週年紀念論壇、萬隆會議60週年首腦會議等活動中的演講,安倍首相圍繞安倍談話的思想和歷史認識的對外宣傳工作通過美國國會演講跨越了一座高峰。今後,人們的關注目光會轉移到,基於戰後70年談話相關有識之士懇談會報告,首相將會在8月15日(終戰紀念日)發表怎樣的談話這個問題上,儘管其內容依然會堅持面向未來的基調,但除了戰後的評價外,恐怕也不可能不涉及第二次世界大戰的另一個側面,即針對包括中國大陸在內的亞洲地區的戰爭的歷史認識。雖然安倍的國會演講給美國國會議員以及華盛頓的日本問題專家留下了良好印象,但真正的評價或許必須結合8月15日安倍談話才能整體給出。
標題圖片:安倍晉三首相(右)與歐巴馬總統走出林肯紀念堂(圖片提供:AP/Aflo)
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