2009年12月3日 星期四

平山郁夫 Ikuo Hirayama 悠悠大河/ 死去


写真自作の前で語る平山郁夫さん=07年2月26日

写真2009年秋に開かれた再興第94回院展に出品された平山郁夫さんの日本画「文明の十字路を往く――アナトリア高原 カッパドキア トルコ」

 日本画壇の第一人者で、シルクロードを描いた作品で知られ、文化財保存活動にも尽力した文化勲章受章者の平山郁夫(ひらやま・いくお)さんが、2日午後0時38分、脳梗塞(こうそく)で死去した。79歳だった。

 広島県で生まれ、旧制中学3年で被爆した。東京美術学校(現・東京芸術大学)で、日本画家の前田青邨(せいそん)に師事。卒業後母校の助手となり、 1953年に日本美術院展に出品して初入選。以後、同展を拠点に発表し、59年発表の「仏教伝来」や61年の「入涅槃(にゅうねはん)幻想」などで評価さ れ、仏教やシルクロードの歴史・風物、各地の文化遺産などを主題にした作風を確立する。

 また、法隆寺金堂や高松塚古墳の壁画の模写に従事。中国・敦煌の石窟(せっくつ)寺院を守るために、展覧会を開催して得た2億円を寄付するなど、 世界の文化遺産の保存・修復活動を展開した。カンボジアのアンコールワットやアフガニスタンのバーミヤン仏教遺跡なども含む広い範囲を対象とし、「文化財 赤十字」構想を唱えてライフワークとした。

 その一方、73年から東京芸大の教授を長らく務めて後進の指導にあたり、89年に同学長に。95年に一度退いたが、2001年に再び選ばれて05 年まで学長を務めた。その間、98年の文化勲章や03年度の朝日賞など受章・受賞を重ねた。このほか、所属していた日本美術院の理事長に就いたのをはじ め、日中友好協会会長や日本育英会会長、日本ユネスコ国内委員会会長などの要職を歴任した。

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photoIkuo Hirayama, in front of his Silk Road works (ASAHI SHIMBUN FILE PHOTO)

Ikuo Hirayama, a Japanese-style painter famous for his Silk Road series of works as well as his efforts to protect cultural heritage sites in Japan and overseas, died of a stroke Wednesday. He was 79.

During his 60-year career, Hirayama painted people, landscapes, and historical and cultural assets in a distinctive style marked by glowing colors, based on precise sketches, and imbued with a sense of grandeur, romance and the vastness of time.

He received the Order of Culture in 1998.

Among his many roles, he served as president of the Tokyo National University of Arts and Music (now Tokyo University of the Arts), chairman of the Japan Art Institute and a UNESCO goodwill ambassador.

Hirayama was born in Hiroshima Prefecture in 1930 and, after surviving the 1945 atomic bombing of Hiroshima city, grew ill at one time from a radiation-related illness. His experience of the cataclysmic attack apparently shaped his yearning for peace and respect for cultural heritage.

He studied Japanese painting under Seison Maeda at a predecessor of the arts university in Tokyo. He inherited Maeda's respect for the Orient, and valued traditional Japanese virtues.

Hirayama first received acclaim for a series of paintings based on Buddhist themes, such as "Bukkyo Denrai" (The Transmission of Buddhism) in 1959 and "Nyu-Nehan Genso" (Fantasy of Nirvana) in 1961.

His 1979 work "Hiroshima Shohen-zu" (The Holocaust of Hiroshima) avoids a direct portrayal of the atomic bombing, and depicts instead richly red flames that rise up to Acalanatha, a Buddhist deity who destroys delusion and rescues people.

But he is most famous for his paintings of Silk Road desert landscapes, people and history.

During the 1960s and 1970s, Hirayama took part in the restoration of the murals of Horyuji temple's main hall and of the ancient Takamatsuzuka tumulus.

He also contributed to the preservation and restoration of cultural heritage sites in several countries, such as the Angkor Wat ruins in Cambodia, the Buddhas of Bamiyan in Afghanistan--much of which were blown up by the Taliban in 2001.

He also donated 200 million yen to protect a cave-temple in Dunhuang, China.

From 1973, Hirayama served as a professor at his alma mater, where he taught up-and-coming artists. He served as president from 1989 to 1995, and again from 2001 to 2005.

He received the Ramon Magsaysay Award for Peace and International Understanding in 2001 and the Asahi Prize for fiscal 2003.

He was also chairman of the Japan-China Friendship Association, president of the Japan Scholarship Foundation and chairman of the Japanese National Commission for UNESCO.

Just as his lifelong passion, the Silk Road, connected the East and the West, Hirayama played a major role in connecting countries, sectors and peoples.(IHT/Asahi: December 3,2009)



仏教を題材にした幻想的な作風で知られる日本画家で、東京芸術大学長も務めた平山郁夫(ひらやま・いくお)氏が2日午後0時38分、脳梗塞(こうそく)のため、東京都内の病院で死去した。79歳だった。(14:10)
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日本画壇の第一人者で、シルクロードを描いた作品で知られ、文化財保存活動にも尽力した文化勲章受章者の平山郁夫さんが、2日午後0時38分、脳梗塞で死去した。79歳だった。  広島県で生まれ、旧制中学3年で被爆した。東京美術学校(現・ 東京芸術大学)で、日本画家の前田青邨に師事。卒業後母校の助手となり、1953年に日本美術院展に出品して初入選。以後、同展を拠点に発表し、59年発 表の「仏教伝来」や61年の「入涅槃幻想」などで評価され、仏教やシルクロードの歴史・風物、各地の文化遺産などを主題にした作風を確立する。また、法隆 寺金堂や高松塚古墳の壁画の模写に従事。中国・敦煌の石窟寺院を守るために、展覧会を開催して得た2億円を寄付するなど、世界の文化遺産の保存・修復活動 を展開した。カンボジアのアンコールワットやアフガニスタンのバーミヤン仏教遺跡なども含む広い範囲を対象とし、「文化財赤十字」構想を唱えてライフワー クとした。 その一方、73年から東京芸大の教授を長らく務めて後進の指導にあたり、89年に同学長に。95年に一度退いたが、2001年に再び選ばれて05年まで学 長を務めた。その間、98年の文化勲章や03年度の朝日賞など受章・受賞を重ねた。このほか、所属していた日本美術院の理事長に就いたのをはじめ、日中友 好協会会長や日本育英会会長、日本ユネスコ国内委員会会長などの要職を歴任した。 (アサヒコム) わたしは幾度か瀬戸田の平山郁夫美術館に行ったことがありま す。視野の広いおぼろげな表現が多く、静かな心持にさせてくれます。なかでも「入涅槃幻想」(釈迦の死の情景を描く)は秀逸な作品です。シルクロード(仏 教美術)をテーマに独自の境地を極めた画家だと思います。高松塚古墳の壁画の模写や日本美術院の理事長など、制作以外の仕事(雑用も含めて)にも関わり、 画家としては例外的にマルチ(多忙)な人でした。砂漠にひとつの確かな目が、いつまでも眺めていたもの・・・その眼も消えた。



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2008/6/7

2008年[日]平山郁夫" 悠悠大河"出版
應該是配合展覽 "4月、北京の中国美術館で「平山郁夫芸術展」開催"。
當然他是中國的老朋友 這中文出版是可能第5本呢 不過那是網路時代之前的
中國的出版品都強調他的絲路等作品 其實他的取材旅行之足跡遍世界 台灣起碼來過兩次
翻譯很有道地中文味 可惜作品名中不少佛教等領域之漢字沒處理
作者自己都誤記他16歲上美術學校 其實應該是17歲
讀這本書可以了解他的太太和恩師等情緣和社會風俗等


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Ikuo Hirayama (平山 郁夫 born 15 June 1930 , Setoda, Hiroshima)is a Japanese Nihonga painter, born in Setoda-chō, Hiroshima Prefecture, famous in Japan for Silk Road paintings of dreamy desert landscapes in Iran, Iraq, and China.

In 1952, he graduated from the Tokyo School of Art, and became a disciple of Maeda Seison.

Ikuo also has his career as the president of the university.

A hibakusha, he produced a series of paintings depicting the introduction of Buddhism to Japan. Later, he portrayed the A-bomb attack on Hiroshima. He is also active in the preservation of the cultural heritage of the world (for example, the Bamiyan Buddhas) and is internationally appreciated for his efforts in this sphere. Hirayama was awarded the Order of Cultural Merit in 1998.

He has a studio in Kamakura, Kanagawa. There is a dedicated museum in Setoda, having an English Web site at [1].

[edit] External Links

■平山郁夫の生い立ち
(1)中学入学・原爆被爆
(2)東京美術学校入学
(3)日本画家への道
(4)仏教伝来
(5)ヨーロッパの分厚い宗教芸術の伝統に触れる
(6)日本文化の源流を訪ねて
(7)世界へ向けて
(8)薬師寺玄奘三蔵院 ≪大唐西域壁画≫
(9)文化活動と社会的貢献
(10)文化財赤十字構想

平山郁夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平山 郁夫ひらやま いくお1930年(昭和5年)6月15日 - )は、日本画家教育者東京藝術大学学長日本美術院理事長。現代日本画壇の最高峰に位置する画家であり、その作品価格は存命する画家の中で飛びぬけて高い。日韓友情年日本側実行委員長、日中友好協会会長、ユネスコ親善大使など多くの役職に就いている。称号広島県名誉県民栄典文化勲章受章、大韓民国修交勲章興仁章受章など。

目次

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[編集] 来歴・人物

1930年(昭和5年)、瀬戸内海に浮かぶ広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市瀬戸田町)に生まれる。1945年(昭和20年)旧制広島修道中学(現修道中学校・高等学校)3年在学中、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠広島市への原子爆弾投下により被災。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点になっている。

戦後は実家に近い旧制忠海中学(現忠海高校)に転校し、1947年(昭和22年)東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学、前田青邨に師事する。1952年(昭和27年)、卒業とともに同校助手となり、助教授、教授を経て1989年(平成元年)には東京藝術大学第6代学長に就任している。

平山はかつて原爆後遺症で一時は死も覚悟した。そうしたなか、1959年(昭和34年)に玄奘三蔵(三蔵法師)をテーマとする《仏教伝来》を描きあげ、院展に入選する。以降、平山の作品には仏教をテーマとしたものが多い。

仏教のテーマはやがて、古代インドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで伝えた仏教東漸の道と、文化の西と東を結んだシルクロードへの憧憬につながっていった。平山は1960年代後半からたびたびシルクロードの遺跡や中国を訪ね、極寒のヒマラヤ山脈から酷暑のタクラマカン砂漠に至るまで、シルクロードをくまなく旅している。その成果は奈良薬師寺玄奘三蔵院の壁画に結実している。

1989年(平成元年)12月21日から1995年(平成7年)12月20日まで東京藝術大学学長。1992年(平成4年)5月より世界平和アピール七人委員会の委員となる。1996年(平成8年)1月1日から2001年(平成13年)12月20日まで日本育英会会長。1998年(平成10年)11月3日文化勲章を受章。2001年(平成13年)12月21日から再び東京藝術大学長に就任。2004年(平成16年)12月22日大韓民国政府より北朝鮮高句麗古墳群のユネスコ世界文化遺産登録に寄与した功績で修交勲章興仁章受章。2005年(平成17年)日韓友情年日本側実行委員長も務める。日中友好協会会長やユネスコ親善大使平城遷都1300年記念事業特別顧問の肩書もある。他にも高松塚古墳壁画の模写、カンボジアアンコール遺跡救済活動、「文化財赤十字」(この呼称が赤十字社の許可を得ているかは不明)の名のもとに中東など紛争地域の文化財保護に奔走するなど、その活動は幅広く、社会への影響も大きい。

こうした活動を前向きに評価する意見がある一方、国立大学(後に国立大学法人) である東京藝術大学の学長という公職にありながら、出版社、百貨店、放送局などとタイアップした自作の展示販売を大々的に行い、莫大な利益を上げている点 などを批判する向きもある。また、日本とアジア諸国との友好活動や東北アジア・中央アジアでの文化財保護活動は国際的に非常に高く評価されているものの、 あきらかに誤った歴史的事実と認識(中国において文化大革命や都市開発により破壊された建築物を、戦時中に日本が破壊したとしている)に基づく活動を主導するなどの批判がある。また、日本国外での国際的な芸術的評価は低く、画家としての知名度は国内に比べると低い。

故郷の広島県尾道市瀬戸田町には「平山郁夫美術館」があり、滋賀県守山市佐川美術館にも作品が収蔵される。

2007年4月、内閣官房「美しい国づくり」プロジェクト・企画会議座長に決定。

[編集] 代表作品

  • 仏教伝来(1959)(佐久市立近代美術館蔵)
  • 入涅槃幻想(1961)(東京国立近代美術館蔵)
  • 広島生変図(1979)(広島県立美術館蔵)
  • 大唐西域壁画(薬師寺玄奘三蔵院壁画)(2000)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

悠悠大河


作者简介

平山郁夫 (HIRAYAMA IKUO)1930年6月15日生于日本广岛县。l945年8月6日经历了原子弹轰炸,劫后余生。1952年于东京美术学校(现东京艺术大学)日本画科毕 业,师从前田青邨。l953年作品《家路》首次入选第38届日本美术院展。l959年《佛教传来》入选第44届院展后开始创作佛教题材作品。1961年 《人涅槃幻想》获日本美术院奖(大观奖)。1968年以后开始走访丝绸之路,迄今已寻访百余次,足迹遍布阿富汗、伊拉克、伊朗、土耳其等中亚各国及印度 等,创作了大量佛教与东西文化交流题材的作品。l975年首次访华;l979年首访敦煌,以后每年一次或多次访华,至今已逾百次。1989年就任东京艺术 大学校长。提倡“文物保护红十字”的理念,积极推进世界文化遗产的保护修复事业。l992年开始担任日中友好协会会长;l996年任日本美术院理事长;荣 获法国荣誉军团勋章。2000年12月31日完成历经30年创作的奈良药师寺玄奘三藏院Ⅸ大唐西域壁画》。2002年9月获中国政府颁发的文化交流贡献 奖。2005年4月任东京国立博物馆特任馆长;2006年成立“文化遗产国际协力协调机构”并任会长。2008年4月在北京中国美术馆举办“平山郁夫艺术 展”。主要著述《青春物语》、《悠悠大河》、《玄奘三藏漫漫取经路》、《永远的丝绸之路》等。




日本著名畫家平山郁夫是1945年8月6日廣島原子彈爆炸的幸存者,他目睹了這場凶險慘絕的人間悲劇,也曾因原子彈後遺癥徘徊在生死邊緣。繪畫成了他生命 中的轉折點,特別是以佛教題材的繪畫來洗滌創傷、淨化心靈;他視玄奘為人生之師,踏遍西域各國和絲綢之路,追尋玄奘的足跡,體驗三藏求法的精神。在藝術創 作之余,多年來他一直為世界文化遺產的保護、人與人之間的文化藝術交流及和平友好到處奔走。








本書是平山郁夫的人生自述,是劫後餘生者的肺腑之言。




目錄

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賀詞
致中國讀者

我的藝術朝聖之旅
緒言 火
第一章 寂靜與湛藍的海
佛教東漸之路
大連帶的圓環
生命之源文化之源
踏上茫茫的征程
第二章 閃光
1945年8月6日
慘絕人寰
逃出廣島
在冥冥的邊緣
立志學畫
第三章 求法
從佛畫和古典中汲取營養
在死亡的陰影威脅下
生命之光
入涅?幻想
奔向無窮世界
第四章 宿命與緣分
公寓里的人情冷暖
擁抱死神的朋友
性本善的鄰居
妻子美知子
中板橋一帶
回憶前田青 先生
引領我的力量
第五章 絲綢之路
首次東方之旅
干一輩子也值
遍訪絲綢之路
第六章 交流
第七章 傳統的分量
第八章 新征程
結語

“大唐西域壁畫”創作之旅
後記
說說平山這個人 平山美知子
對談 平山郁夫+常沙娜
平山郁夫略年表






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