2011年6月19日 星期日

福島・酪農家の男性自殺

新築の壁に残した無念 福島・酪農家の男性自殺

2011年6月20日4時5分


写真:ベニヤ板の壁にチョークで書かれた男性のメッセージ=13日、福島県相馬市、金子淳撮影拡大ベニヤ板の壁にチョークで書かれた男性のメッセージ=13日、福島県相馬市、金子淳撮影

写真:新築したばかりの堆肥舎。この奥の小屋で男性が亡くなっていた=福島県相馬市拡大新築したばかりの堆肥舎。この奥の小屋で男性が亡くなっていた=福島県相馬市

 福島県相馬市の酪農家の男性(54)が今月、自ら命を絶った。「残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください」。メッセージは、新築したばかりの堆肥(たいひ)舎の壁に残されていた。

 男性は、東京電力福島第一原発から約60キロ離れた相馬市の山あいの小さな集落で、約40頭の乳牛を飼っていた。なだらかな斜面の奥に母屋があり、手前に牛舎と堆肥舎が並ぶ。

 真面目で仕事熱心――。酪農家仲間や知人の一致した印象だ。午前3時から牧草を刈り、牛の世話をした。世話を終えた後に、畑仕事に出ることもあった。昨 年末には、堆肥をつくって売るために堆肥舎を新築し、農機具も少しずつ増やしながら、父親から継いだ牧場を大きくしようと懸命に働いていたという。

 原発事故で3月21日に原乳が出荷停止となり、搾った原乳を捨てる日々が約1カ月続いた。「牛乳が出せないからお金も入らない」と仲間たちにこぼした。男性が所属するJAそうま酪農部会の酪農家28戸のうち、営業を再開できたのは16戸だけだった。

 知人らによると、男性はフィリピン人の妻(32)と長男(6)、次男(5)の4人暮らしだった。そろいのヤッケを着た妻が、牛舎で牛の世話を手伝った。

 男性は長男の入学式を楽しみにしていた。「郡山市まで行って、高いランドセルを買ってやったんだ」。20年来の友人の酪農家(52)は、男性がそう言って笑っていた姿を思い出す。

 妻子は4月中旬、原発事故を心配したフィリピン政府に促されて帰国した。長男の入学式の直前だった。

 男性は同月下旬、妻子を追って出国した。「おらだめだ。べこ(牛)やめて、出て行く」「子どもらがいなくて寂しい」と周囲に漏らしていた。

 フィリピンに行った男性は、連絡をしてきた知人に「牛は処分してけろ」と頼んだ。近所の農家や仲間が手分けして世話することを決め、引き取った。5月初 旬、男性は1人で帰国した。「戻る気はなかったけど、言葉も通じなくて」。牛舎から牛は1頭もいなくなっていた。「迷惑をかけてすまなかった」と酪農仲間 にわびたという。

 今月11日午前、広報誌を配りに訪れたJA職員が、亡くなっている男性を堆肥舎で見つけた。ベニヤの壁には、白いチョークでメッセージが残されていた。

 姉ちゃんには大変おせわになりました。原発さえなければと思ます。残った酪農家は原発にまけないで願張て下さい。仕事をする気力をなくしました。(妻と 子ども2人の名前)ごめんなさい。なにもできない父親でした。仏様の両親にもうしわけございません。(一部省略、原文ママ)

 隣の牛舎には、黒板に「原発で手足ちぎられ酪農家」「やる気力なくした」といった言葉がつづられていた。

 14日、相馬市で葬儀が営まれた。家族や酪農家ら200人が男性の死を悼んだ。フィリピンから駆けつけた妻子3人は寄り添い、泣きじゃくっていたという。

 男性が残した書き置きには2人の知人の名が記されていた。1人は新しい堆肥舎を建てた大工の男性。その代金を完済しておらず、「保険で全て支払って下さい。ごめんなさい」とあった。

 もう一人、隣の酪農家(64)には「言葉で言えないくらいにお世話になりました」と書き残した。この酪農家は「体は大きいけど気は小さくて、仕事一筋の真面目な人だった。もう、ああいう人を出してはいけない」と話した。(矢吹孝文、丹治翔)

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