2008年1月9日 星期三

宇野 精一氏(うの・せいいち)

第二集儒學實踐家─宇野精一為七十四年得主。
播出時間:2004/5/3(一)晚上08:00

宇野先生是日本的漢學家,專研周禮,也是行政院文化獎頒贈以來第
一位受獎之外國人士。中日斷交之後,宇野先生出任日華文化協會會長,為中日民間文化交流奔走。這集的拍攝可說是一波三折,一開始找不到宇野先生的下落,輾 轉透過在東京大學的朋友打聽,得到宇野先生三十年前退休時留的住址。經過駐日辦事處的協助,終於聯絡上搬到新宿的宇野先生。

由於宇野先生聽力不好,往返聯絡都得透過駐日辦事處由傳真聯絡,等到終於聯絡好拍攝時間,又碰上SARS肆虐,考量宇野先生和其他受訪者的年事已高,只得把拍攝時間往後挪,當時真怕宇野先生和其他受訪者一口回絕採訪!

5中國思想之研究. (一)儒家思想宇野精一;洪順隆幼獅民72120
6中國思想之研究. (二)道家與道教思想宇野精一;邱棨鐊幼獅民72120
7中國思想之研究. (三)墨家.法家.邏輯思想宇野精一;林茂松幼獅民73120

宇野精一氏死去 東大名誉教授

2008年1月8日 16時21分

 宇野 精一氏(うの・せいいち=東大名誉教授、中国哲学)7日午前8時、老衰のため東京都内の自宅で死去、97歳。東京都出身。葬儀・告別式は12日午前11時から東京都中野区中央2の33の3、宝仙寺で。喪主は長男で中央大文学部長の茂彦(しげひこ)氏。

  東大卒。55年に東大教授となり、国語審議会委員として人名漢字制限の撤廃を訴えた。“家永教科書裁判”では国側を支持する「教科書を守る会」をつくり、 80年代にはスパイ防止法制定促進国民会議議長なども務めた。昭和に代わる新元号の考案を政府から委嘱された学者の1人。

 二松学舎大教授、熊本女子短大学長なども歴任。著書に「中国古典学の展開」など。

(共同)

宇野精一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宇野精一(うの せいいち、1910年 - 2008年1月7日)は、儒教研究者、国語教育評論家。東京大学名誉教授、尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長。

宇野哲人(HC)の実子。宇野茂彦中央大学文学部長は長男。


略歴

明治43年1910年)、東京に生まれる。東京帝国大学文学部支那哲学支那文学科卒業。東方文化学院東京研究所助手、東京高等師範教授、東京大学助教授を経て教授。現在、同大学名誉教授。儒教思想を中心とする中国古典学の研究を専門とする傍ら、国語教育問題に関する評論活動でも知られる。GHQの主導で行われた戦後の国語改革に一貫して反対する立場をとり、正字・正仮名(戦前の漢字・仮名づかい)の活用を呼びかける。昭和34年1959年)、小汀利得福田恆存らとともに國語問題協議會を設立。会長をつとめた。昭和36年1961年)、国語改革推進派が多数を占め、毎回同じ委員が選出される構造となっていた国語審議会の総会を、舟橋聖一塩田良平山岸徳平らとともに退場し、注目を集めた。皇太子に漢学を進講した。 2008年1月7日、午前8時死去。享年97歳

[編集] 著書

  • 儒教概説 日月社 1948 『儒教思想』講談社学術文庫 1984 ISBN 4061586572
  • 『中国古典学の展開』北隆館,1949
  • 新釈孟子全講 学灯社 1959
  • 中国の知恵 孟子のことば 性善的人生観 黎明書房 1966
  • 歴史教育と教科書論争 亡国の論理を衝く(編著)日本教文社 1968
  • 戦後教育太平記 偏向の教科書裁判・日教組・教育現場の実証 (編著)日本教文社 1971
  •  顔氏家訓 明徳出版社 1982
  • 『孫文から李登輝へ—日華80年の軌跡』早稲田出版,1992. ISBN 4898271359
  • 書香の家 宇野精一博士米寿記念対談集 石川忠久明治書院 1997
  • 論語と日本の政治 明治書院 2002
  • 新釈漢文大成 孔子家語 明治書院 2004

など

  • 明治書院から『宇野精一著作集』全6巻が出されている。

[編集] 外部リンク

沒有留言:

網誌存檔