2013年9月22日 星期日

Shuji Isawa伊澤修二1851-1917,戴文凱(79)

 



 Shuji Isawa
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伊澤修二( Shuji Isawa 1851年6月2日-1917年5月30日),日本長野縣人,教育家,同時是第十任台灣總督伊澤多喜男之兄,1895年1897年擔任台灣總督府學務長。

簡介

1874年伊澤修二擔任長野師範校長,隨即赴留學,為日本第一屆公費留學生。1890年他創立國家教育社主張義務教育對日本的重要性。1895年,日本獲得台灣新領土。伊澤修二以該社為名,發表《台灣教育意見書》。該意見書表示日本統治台灣之後,最重要工作正是以免費的義務教育方式來普及日語
明治23年伊澤向首任台灣總督樺山資紀建議,應該以台灣為「國家教育」的試驗場所,推動日語教育,讓台灣人能夠同化為日本人。
台灣總督府接納其意見,不但將其發表的意見書當成台灣教育制度的草圖,也邀其擔任總督府學務長。在大稻埕開設學務部(後遷至士林芝山巖,並附設芝山巖學堂,為全台第一所現代小學),推行日語教育,設立「國語傳習所」,同時也主張,來台日人應該也要學習台語。
另外,他提倡「音樂教育」,藉由歌唱學習日文。後來發展出「學藝會」,舉凡文化、音樂、藝術皆與此相關,實行於小學,並在校慶等重大節日中,邀請長官與家長,一同觀賞成果發表。
1897年,他因教育經費原因離職,回日本續任教育行政工作。

 

A two-day Japan Friendship Festival, honoring the legacy of Shuji Isawa, Bridgewater State University's first international student, will be held Sept. 24-25.
A theatrical presentation, "The Traditional Japanese Kyogen Theater: Humor Connecting People Across Cultures," will be presented Sept. 24 from 3 to 5 p.m. in Horace Mann Auditorium. Kyogen is a spoken drama that is based upon laughter and comedy. It uses everyday life of the common people in feudal society or folk tales as its subject and realistically depicts a kind of "everyman" figure, evoking a gentle and entertaining humor.
The Honorable Akira Muto, consul general for Japan in Boston, will speak on "Japan in Asia Pacific" as part of Bridgewater State University's Japan Festival. The public and campus community are welcome to attend the speaking event scheduled for Wednesday, Sept. 25 at 3:30 p.m. in East Hall's Dunn Conference Center, Room B.
Also on Wednesday, Sept. 25, the "Japan Friendship Concert" will be held in Boyden Hall's Horace Mann Auditorium at 7 p.m.
In 1875, Isawa was sent by the Japan Ministry of Education to study at Bridgewater Normal School. He was instrumental in introducing a new curriculum for the teaching of music, physical education and special education in Tokyo upon his return two years later.
All events are free and open to the public.

 

 

台湾から恩師の家族訪問

松川さんの子らと涙の対面/高雄市に住む戴さん
「70年来の思いかなう」

前列左から戴さん、松川さんの長女真栄田さん、次女金城絹恵さん、三男勝行さん、羅さん=日、宮古空港
前列左から戴さん、松川さんの長女真栄田さん、次女金城絹恵さん、三男勝行さん、羅さん=日、宮古空港
台湾高雄市岡山区に住む医師の戴文凱さん(79)が18日、幼いころ勉強を教わった恩師松川浩さんの家族を訪ねて来島した。空港では松川さんの長 女真栄田昭子さん(85)=下地川満=らが出迎えて花束を贈呈。戴さんと真栄田さんは、涙をぽろぽろと流す感激の対面となった。戴さんは「先生の家族に会 えてうれしい。70年来の思いがかなった」と感無量の様子。真栄田さんは「涙があふれるばかり。戴さんの温かい気持ちには感謝と感激の思いでいっぱい」と 語った。



 「恩師の松川先生、あるいは家族をさがしています。現住所が分かれば教えてください」-。今年の5月14日、戴さんから下地敏彦市長宛てにそんな手紙が届いた。同日、台湾出身の羽地芳子さんが手紙をつてに、松川さんの家族を探し当て今回の対面につないだ。

 下地市長を訪ねた戴さんは、家族を捜してくれたことに感謝する記念の盾をプレゼント。ループタイや菓子などの土産も携えた。

 下地市長は「松川さんの家族が、すぐに見つかって良かった。台湾での昔話をする良い機会になると思う。松川さんと戴さんのつながりを縁に、台湾と宮古がもっと仲良くなれば」と今後の交流発展に期待した。

 真栄田さんが携えた松川さんの遺影を目にした戴さんは「先生だ。覚えている」と興奮気味に話した。

 宮古に来たのは戴さんと義弟の羅秀雄さんの2人。宮古からは真栄田さんと二女金城絹枝さん夫婦(下地川満)らが出迎えた。兵庫県からも三男勝行さん夫婦が駆け付けた。

 一行は夕食しながら団らん。きょう19日は、宮古観光を楽しむ。

 松川さんは太平洋戦争が終わる前年の1944年、台湾高雄永安区永安小学校長を務めていた。生きていたら113歳。戦後は宮古島の下地川満に住んでいた。

 真栄田さんは、父の実家の隣りに住む。父浩さんは54年前に60歳で他界。母登枝子さんは27年前に85歳で死去した。松川さんの一家は那覇に引っ越し、位牌は孫の憲彦さんが祭っている。

 松川さんと戴さんの接点は、終戦直後の台湾にさかのぼる。松川さんは日本が台湾の統治権を失ったことで、校長職を失い苦しい生活を余儀なくされた。そんな時、戴さんの父が、子どもたちの家庭教師に招いた。戴さんは当時、小学2年生。兄弟が数学などを学んだ。

 戦後、松川さんが宮古から戴さんに宛てたはがきには「幾月かの間あの2階で、一緒に勉強し又寝た事などが思い出されます」と幼いころの戴さんとの触れ合いをしのんだ。戴さんは同はがきも持ち寄り、下地市長に見せた。

 松川さん一家は、終戦翌年の1946年宮古に引き上げた。松川さんは農業を2年ほどして、盛島明得下地町長に請われ、助役を務め任期途中に亡くなった。昭子さんは「うそのつけない正直な人だった」と亡き父をしのぶ。
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