包括第一次執政期間在內,安倍首相曾與九十八個國家、一百九十六個地區的外國領導人舉行會談,在國際社會上被稱為「外交的安倍」,展現了強大的影響力。
【臺灣李登輝總統的國家觀令我深受感動】
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 一九九四年,您以自民黨青年局副局長身分訪問臺灣,與當時的總統李登輝(任期一九八八年一月至二○○○年五月)首次會面。您對李總統有什麼印象?
自民黨的外交窗口是國際局,但與沒有邦交的臺灣,傳統上由青年局負責交流。青年局幾乎每年都會組團訪問臺灣,我當時也跟著青年局一同赴臺,這才見到了李總統。
第一次聽李總統談話,我就被他堅決保護二千多萬臺灣人民的信念和意志所深深震撼。李總統是個充滿人格魅力的領袖,他就像一個磁場,讓人不由得想接近他。
他以流利的日語,講述自己從臺北的高中畢業後,如何在戰時進入京都帝國大學,如何被日本最富權威的學者西田幾多郎的哲學所傾倒。
日本治理臺灣的時代,就如同日本技師八田與一在臺灣建設水壩,當時日本在全臺各地做了很多基礎設施,也讓臺灣的孩童受教育。我們聊到日本和臺灣之間深厚的淵源、臺灣受日本影響多深。言談間,我感覺李總統不僅擁有豐富的詞彙知識,還兼有深厚的哲學教養,毫無疑問是一位足以代表亞洲的偉大領導人。
後來,一九九六年,我以青年局局長的身分訪問臺灣。當時,我向李總統坦言自己對訪中的疑慮,李總統卻告訴我:「你應該去。要告訴中方,臺灣民主化正在穩步前進。」後來我赴中訪問,向對方如實轉達了李總統的話。當然,我說完後現場氣氛變得十分尷尬。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ 您在出任內閣官房長官和首相之後,私下是否和李總統接觸過?
我們經常通電話。但是不談經濟、安保等具體議題。他多次向我表達他堅定的信念,決心保護臺灣,不讓臺灣成為國際社會的孤兒,要加強日臺及臺美關係,讓臺灣得到國際社會的認同。
在參拜靖國神社的問題上,李總統批評了我作為領導人的態度。
二○○七年六月,我第一次執政時,他赴日參拜靖國神社。當時,我正準備飛往德國,在海利根達姆峰會上與中國國家主席胡錦濤會面。這是李總統卸任後,第三度來日本訪問。前兩次,日本政府都請他留意採取溫和的言行;但這一次,我決定「按照總統的意願,讓他參拜靖國神社」,不施加任何限制。
在此之前,他曾與我分享對靖國神社的看法。他說:「我哥哥是大日本帝國海軍的軍人。我也在戰時接受了徵召,作為學生兵出征,以日本陸軍軍人的身分,冒生命危險參戰。
安倍先生,戰爭那會兒,我們可是日本人喲!我哥哥在南方的戰場上陣亡,被供奉在靖國神社,那是當時士兵和國家之間的約定。當然,我哥哥已是被供奉在靖國神社裡的神祇了。這就是我的看法。我認為唯一能見到我哥哥的地方,就是靖國神社了。所以,我要在靖國神社和我哥哥團聚。」聽他說了這番話,我還能拜託他別去靖國神社嗎?當然不能。
他還說過這樣的話:「日本人在做什麼?曾經的日本人精神都到哪裡去了?那麼多為國家戰死的人被供奉在靖國神社,國家的領導人前往參拜,不是理所應當的嗎?」真的,我一句話都沒辦法反駁。
#節錄自第六章_談談世界主要國家的領導人
#天生的政治領導力和斡旋能力
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❾月新書
❖安倍晉三回憶錄│安倍晋三回顧録
❖作者∣安倍晉三
❖譯者│矢板明夫
今天是日本的安倍晉三前首相過世兩週年的日子。在日本被稱為「三回忌」。在安倍的家鄉山口縣長門市、遇刺現場奈良縣奈良市等地,都有紀念活動。
數十位支持安倍的國會議員,昨天還在東京舉辦了「第二屆繼承安倍晉三前首相遺志之會」。賴清德總統以錄影方式致詞、感謝安倍前首相對台日關係的貢獻,並盼台日持續深化夥伴關係,一起面對全球性挑戰,為彼此創造更美好的未來。
安倍首相雖然已經過世兩年,但他的思想和政策,對今天的日本以及國際社會仍然有著相當大的影響力。
所謂的「安倍路線」,我認為可以總結為三點。
第一、主導修改了安全保障關聯法案。使日本可以行使集團自衛權。帶領日本邁出了走向「正常國家」的重要一步。同時,讓日本民族走出了70多年前敗戰的陰影,逐漸擺脫中國和韓國在歷史問題上的道德綁架、找回了自信。
第二、提出了「印度太平洋戰略構想」的概念。在安倍首相提出這個概念之前,東亞地區最流行的地緣政治概念是「亞太」。是以中國為中心的。周邊國家不得不接受大中國主義的擴張與滲透。為了對抗「亞太」這個概念,安倍在2016年正式提出了「自由開放的印度太平洋地區」的戰略目標,並成功說服了印度、澳洲、美國的加入。「印太戰略構想」已經被越來越多的國家接受,成為了國際社會上的主流價值觀之一。
第三、提出了「台灣有事就是日本有事」的說法,把台灣和日本的命運牢牢地綁在一起。在日本的和平憲法還沒有被修改之前,美國的對台灣政策依舊模糊的情況下,安倍的這一說法具有巨大的突破性。有效地牽制了中國習近平政權的蠢蠢欲動,為台海的安定與和平投下了一根定海神針。
我認為在今後相當長的一段時間之內,日本很難再出現一位像安倍一樣具有國際戰略眼光、並同時擁有影響力的政治領袖了。懷念安倍首相。
#矢板明夫
圖片:安倍昭恵@akie_official,及其他
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The legacy of Abenomics lies between two extremes
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【安倍元首相国葬】菅義偉前首相「真のリーダーでした」 友人代表の追悼の辞全文
27日に営まれた安倍晋三元首相の国葬(国葬儀)で、自民党の菅義偉前首相は友人代表として追悼の辞を述べた。菅氏は安倍氏との出会いや第2次安倍政権時代の日々を振り返り、「あらゆる苦楽を共にした(第2次安倍政権での)7年8カ月。私は本当に幸せでした」と述べた。菅氏の追悼の辞の全文は次の通り。
◇
7月の8日でした。
信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい。同じ空間で同じ空気を共にしたい。その一心で現地に向かい、そしてあなたならではの温かなほほ笑みに、最後の一瞬、接することができました。
あの運命の日から、80日がたってしまいました。
あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。
季節は歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情でも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。
天はなぜ、よりにもよってこのような悲劇を現実にし、生命(いのち)を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。
口惜しくてなりません。悲しみと怒りを交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。
しかし、安倍総理とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ武道館の周りには花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。
20代、30代の人たちが少なくないようです。明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
総理、あなたは今日よりも明日の方がよくなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ。これがあなたの口癖でした。
次の時代を担う人々が未来を明るく思い描いて初めて経済も成長するのだと。いま、あなたを惜しむ若い人たちが、こんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上にうれしいことはありません。報われた思いであります。
平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、これが新聞に載りました。
すると、記事を見たあなたは「会いたい」と電話をかけてくれました。
「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれればうれしい」と、そういうお話でした。
信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。
そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感いたしました。この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
私が生涯誇りとするのは、この確信において、一度として揺らがなかったことであります。総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。
最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命、あなたを口説きました。それが使命だと思ったからです。3時間後にはようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを「菅義偉、生涯最大の達成」として、いつまでも誇らしく思うであろうと思います。
総理が官邸にいるときは欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。今でも、ふと一人になると、そうした日々の様子がまざまざとと蘇ってまいります。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。
一歩後退すると勢いを失う。前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。
安倍総理。日本国はあなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など難しかった法案を、すべて成立をさせることができました。どの一つを欠いても、わが国の安全は確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものであります。
国難を突破し、強い日本を創る。そして真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。私だけではなく、すべてのスタッフたちがあの厳しい日々の中で、明るく生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたはわが国、日本にとっての真のリーダーでした。
衆議院第1会館1212号室の、あなたの机には読みかけの本が1冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだという最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページにはマーカーペンで、線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌でありました。
総理、今、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」
「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」
深い悲しみと寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。
令和4年9月27日 前内閣総理大臣 菅義偉
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