2011年4月21日 星期四

彫刻家・佐藤忠良/詩人、エッセイスト 島田陽子

悼む:彫刻家・佐藤忠良さん=3月30日死去・98歳

 ◇「根っこ」に思いはせる巨匠--佐藤忠良さん(さとう・ちゅうりょう)=老衰のため、3月30日死去・98歳

 戦後彫刻界を代表した巨匠はサービス精神旺盛で、常に記者を笑わせてくれた。

 裸婦像の魅力を語った時は「男が嫌いなのかな。でも顔(頭部像)は男もありますよ」。話題が子供の像になれば「たくさん作ると『小児科の佐藤だ』 と言われちゃってねえ」という具合。威張らず、誰に対しても態度を変えなかったのは「知識や権力のある人より、普通の人々が立派だった」というシベリア抑 留時代の人間洞察が影響したのかもしれない。

 だが、具象彫刻の本質に話が及ぶと言葉は一気に厳しさを増した。全身像であれば「彫刻として立つ必然性がなくてはだめ」と語り、自然観察の重要性を説いた。

 「東京美術学校(現・東京芸術大)時代の樹木デッサンで、『上部を支え、倒れまいと地にはいつくばる根っこの気持ちになって描きなさい』と教えら れました。植物の気持ちになることが、立つ彫刻を支えるんです」。外見をなぞっただけでは人体彫刻にはならない、というのだ。「凜(りん)とした」などの 形容詞では言い尽くせない、「強さ」が作品に通底していた。

 徹底的な自然観察は「帽子・夏」など、ジーンズをはいた女性像の誕生にもつながった。「動く時にできるしわが、呼吸しているように見えるんです」。「根っこ」に思いをはせる態度は、人生の苦労や切なさをにじませた、一連の頭部像にも生かされたのは言うまでもない。

 東京・世田谷美術館で昨年末から3月初旬まで開かれた回顧展に足を運ぶことはかなわなかった。それでも開催を大いに喜び、アトリエで描いた綿の実 のデッサンを学芸員に託し、最期まで「現役」を貫いた。来年は、宮城県美術館で生誕100年の記念展が開かれる予定だ。【岸桂子】

毎日新聞 2011年4月17日 東京朝刊


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訃報:島田陽子さん81歳=詩人、エッセイスト

詩人の島田陽子さん=2009年12月、佐藤慶撮影
詩人の島田陽子さん=2009年12月、佐藤慶撮影

 島田陽子さん81歳(しまだ・ようこ=詩人、エッセイスト)18日、すい臓がんのため死去。自宅は大阪府豊中市北緑丘2の1の20の902。葬儀は近親者のみで済ませた。後日、お別れ会が行われる。

 東京都生まれ。70年大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」を作詞。他の主な作品に、詩集「大阪ことばあそびうた」、エッセー「うたと遊べば」など多数。現代詩、大阪弁の創作詩など幅広く活動した。

毎日新聞 2011年4月21日 13時29分(最終更新 4月21日 16時35分)



島田 陽子(しまだ ようこ、1929年 -2011)は、日本の詩人である。

東京都出身であるが、11歳から大阪府に在住。豊中高等女学校(現大阪府立桜塚高等学校)卒業。「文章倶楽部」などで小説を書いた後に1960年頃から童謡や児童詩の創作を始める。大阪弁を使った親しみやすい作風ので知られる。また、合唱曲などの作詞も多数あり、1970年の大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」の作詞も行っている。

日本文藝家協会日本現代詩人会日本詩人クラブ日本童謡協会詩と音楽の会会員。日本現代詩歌文学館評議員。1993年には、第28回大阪市民表彰(文化功労)を受賞。また、2003年まで帝塚山学院大学で講師を務めた。

著作 [編集]

詩集 [編集]

エッセイ [編集]

作詞 [編集]

  • 世界の国からこんにちは
  • おおさか風土記
  • おおさかグラフィティ-
  • 木と草と花のバラード
  • 大阪ことばあそびうた

大阪ことばあそびうた [単行本]

島田 陽子 (著)

大阪ことばあそびうた
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